我々紬業者が結城紬で最も大事であります手紬糸、その原料は真綿です。
真綿は結城市及びその近辺で作られているのではなく福島県の保原で作られているのは有名な話です。
ではなぜ保原なのか?私は今まで知る由もありませんでした。
つい先日知り合いの結城の問屋さんより教えていただきました。
結城市の隣町である筑西市、昔は下館市でした。その下館市の子孫の方が旧保原、現在は伊達市に移り住んだそうです。
その時期は戦国時代辺り、皆様ピンときませんか?
そうです伊達政宗、下館市のその当時は伊達氏が統治していたそうな?伊達政宗ではないと思いますが、
その伊達氏が福島の、現在の伊達市に移住し、その当時より、結城紬の原料である真綿を作る技法である「真綿かけ」を結城の農家の方が指導していたそうです。
今まで、なぜ保原?と思っていましたが合点がいきました。
ただ、移り住んだのは五十里洪水(1723)により桑園が全滅して業者が奥州に移住したためとの説のありますがどちらでしょうか?
どちらにせよ、そろそろ、NHKの「鎌倉殿の13人」に結城市、ゆかりの武将結城朝光が登場するそうなので楽しみです。
今日で本藍を建て始め150日目になりました。
しかしながら、この一か月の間に私の体に変化がありました。
それは一か月前の8月6日のことです。
その時私は玄関で腰を下ろし立ち上がろうとした瞬間、腰に激痛が走ったのです。
その後は一ヶ月間腰の痛みとの戦いです。
お医者様の診断(MRI)の結果、「ヘルニア」とのこと。
以来、3週間は私の妻が藍甕の撹拌の担当で藍を見守って頂きました。
奥様本当にありがとうございました。
8月6日以降染めたのは2回のみ!その間、藍は元気だったのに「ざんねん」でした。
同上の写真は、その時のもの。
本日、9月20日腰の痛みがおさっまてから2回目の藍染を行いました。
十分藍は元気に発色してくれました。
あとどれくらい元気でいてくれるのか?わくわくです。
それではまた。
ようやく染色できるようになりました。
本藍建て藍染を始めて、66日目でようやく染めはじめとなりました。
今年は鹿児島産の灰を新たに購入して準備してきました。
4月28日、灰汁を準備し4月29日本藍を建て始めました。
本来であれば、5日から10日で発酵し、染め始めとなるはずですが、残念ながら66日かかり、66日後の7月3日に第一回目の染色となりました。
なぜ遅れたか?考えると灰汁のPH 値が高かった為に発酵速度が遅くなっていったと思われます。
しかしながら、いい面もありました。
染色を始めて解かったことですが、染浴の状態が程よく保たれ長い時間染色できたことです。
今までは、すぐPH値が下がり、消石灰の投入でPH値を保っていたのですが、今回は長く状態を保持でき、とてもいい色を染めることが出来ました。
はや10数回染色し、藍の力も落ちてきましたが、しばらく育てていきたいと思っています。
先日、染色材料業者の方より鹿児島産木灰(樫)を購入しました。
本藍染を行う上ですくもが一番ですが、その次?本藍を建てるうえで木灰はとても大事になります。ひとえに木灰と言っても様々です。
大体、木を燃やして灰を取るだけのようですが、その木が柔らかな木であると、灰汁建てをするにあたりはアルカリ度を測るPH値は高くなりません。高くするには硬い木でなければいけないのです。ですから、業者に頼んで質のいい木灰が必要になってきます。
今までは原発事故の影響で、関東近辺は放射能が灰にたまると報告があり、南方方面の県からの木灰を使うようにしていました。今回も鹿児島県を購入しました。
幸い、放射能の影響もなくなってきたようで、業者の方よりこれからは近辺でも大丈夫だそうです。
これから暖かくなり、草木も元気になってきますが藍を建てるのはまだ先になります。それまでに私は糸の準備やら助剤の購入など行っていこうと思っております。
楽しみに待っていてください!
10月25日をもって、今年の藍染をおわりにします。
約3年続けてきた藍甕の手入れ(約3年にわたり一日も休まず藍の攪拌)をしてきましたが、ようやく今年度にてひとまず終了します。
※本来、藍染は一年で終わりますが、染める糸が少ないので僕の場合は越年しました。
その場合毎日の攪拌と,PH計でのアルカリ度の管理をしていたので大変でした。
これからは、来年に向けて準備となります。
すくもは用意万端、あとはPH計の購入、良質な灰(業者で購入予定)を行います。
また、今回の染に関して、半年にわたり夫婦で糸取りをして3ボッチ(約300g)の糸を加え、染めることが出来ました。いわゆる最初から最後まで一人の手で作品作りができるようになりそうです。今回は、3割程度ですが。
色の濃度はもう少し濃くしたいので、来年中に染めたいです。
これからは暇を見て糸取りに励みます。皆様こうご期待ください。
今回は糸取りの方法についてお話します。
。最初に真綿を準備します。次につくし(糸取りの道具)に真綿をセッティングします。セットの前に真綿は、袋真綿ですので、袋の中に両手を入れます。次に両手を入れた状態で少しづつ綿を広げていきます。それから、綿のばらつきを見ての左右密集している方の先を詰まんで裏返しにします。つまんだ先端の部分を尽くしの取っ手に差し込み
尽くしの取っ手に差し込み、綿を三角に広げます。そして、中心下部を引っ張り、反時計周りに巻き付け糸取りを始めます。
それからは1から3を繰り返し続けます。
真綿は1枚2グラムで1ボッチ50枚、100g(綿を取引する単位)です。
大体、1日で3枚程度とれるそうです。(私の母談)
当工房で、私が母親と妻の教えを請い糸取りを始めました。多分、1反分の糸をとるのに1年くらいかかると思います。(自分で着る反物のため)
注)普通、1反分の糸は7ボッチ必要です。
皆様今年もよろしくお願いいたします!
さて、今年初めのお話ですが、糊抜きに関してお話をしたいと思います。
結城紬において「のりぬき」は最後に行われる大事な作業になります。。本来、結城紬は真綿から作られているので、製織するとき糊をたくさんつけて強度を保ちながら製織しなければなりません。その代わり、糊を抜くと本来の真綿の風合いが現れるわけです。結城紬の織りの風合いは、糊抜きの前と後を実際に確認しないとわかりません。
皆さまご存知とは思いますが、結城紬にも地機と高機があります。私も自分用に制作した反物2反(内1反は本藍水戸黒染めのものを自分で織ったもの、当然地機のものですが)をこんかい糊抜きしました。
糊抜きをするにあたり業者の確認をしなければなりませんでした。それまで糊抜きを依頼していた糊抜き業者は年齢の関係で廃業してしまったので先輩の織物業者に確認したところ、現在は2件ほどあるとの事でした。その先輩に紹介していただき、反物を預け糊抜きの終るのを待っていました。1週間したころお電話をいただき糊を抜いた反物を確認して,お話を伺いました。
その方のお話では地機と高機では糊抜きしたときに違いがあるとの事でした。今まで私は知らなかったことですが、地機、及び高織の糊抜きの後、反物を乾かします。その時反物の横幅を竹の伸子をつけて伸ばし、縦は引っ張っていくのです。織布は縦及び横方面とも、そののち布をローラーで伸ばしていくのですが地機の場合、縦及び横方面とも伸びないそうです。高機に関しては伸ばそうとするとどちらとも伸びるそうです。このことに関しての感想ですが、高機は織上がった時地機と同じように見えますが糊を抜くと縦横とも繊維幅が広がって,地機とは同じではないことがわかりました。
ちなみに、私が織った反物に関しての糊抜きの感想はよく織れていますねお褒めの言葉をいただきました。糊抜きした反物は今年中に仕立てをしたいと考えております。
今年藍を立てること3回目、甕の数もそれに合わせて三つ並びました。
なぜ今回しつこく藍染に挑戦したのかと申しますとNHKWORLDより取材の申し込みがあったのです。撮影日は7月7,8両日に決定!
それに合わせ、藍建てに挑戦しました。
それにかかわらづなかなか藍が言うことを聞かず、糸を染めることができませんでした。
ようやく、最新の甕が,前回「36話」でお話しした通り7月19日に発色してきました。でも時すでに遅し。撮影時,藍は発色せず藍の染色風景は無しとなったのです。
自然が相手の作業なので仕方がないことでありますが、少々落ち込みました。しかしながら、元々染色する予定でありましたので、気を取り戻し染色に挑みました。
この時の藍甕はPH値が11,3程度であり絹糸を染めるにはアルカリ度が高いので、綿のTシャツを染めてアルカリ度を調整しました。
そんな中、二つ目の甕から急に藍の花が咲き始めたのでした。それまでいろいろ手を尽くして半ばあきらめの気持ちもあったのですが,二つ目の甕を攪拌していると急に泡がブブぶくと湧いてきたのです。それまで全くみじんも色が染まる様子がなっかったのです。
なんと!「藍はきまぐれ」想像以上の色の濃さ!今回の甕はPH値は10,7で糸を染めるのには最適な環境になりました。
しかしながらここでゆっくり染めないで待っていると、愛は気まぐれ なので染まらなくなってしまうこともあるのです。
何せ先週最初の甕で糸を染めようと準備し、染浴の様子を確認するとあら不思議!藍の花は消え、素手を染浴に入れても青く染まらない。
その時、私は気が緩み2日間PH値を測定していませんでした。「罰があったった」急いで、消石灰を投入して攪拌しました。そのあと少しの間見た目では染浴は死んでしまったようでした。次の日の朝、恐る恐る甕を攪拌してみると、泡がブブと立ち込め藍の華が咲き出し始めました。要は気を抜くと大変なのです。
三つ目の藍甕はまだ発色していませんが多分そのうち藍の華が咲くでしょう!
多分、しばらく三つの藍甕、の管理に追われますが楽しくのんびりやっていきます
こうご期待ください!
今年、ようやく藍の花が咲き、あの独特の深みの藍の色に出会うことができました。
思えば、最初の藍はPH計が壊れていたことから始まりました。
失敗の連続で落ち込みましたが、この瞬間はホント 嬉しさ爆発でした。
7月3日に仕込みをして、本来であれば、3日後辺りで中石となり7日あたりから染はじめと考えていましたが、約10日すぎの7月18日に藍が動き出し、19日には藍の花が咲き始めました。
糸を染め始めるにはPH値が11,7と少し高いので、まずはTシャツから始めました。グラデーションにしあげます。色が薄いので何回かに分けて染めていきます。ホントワクワクしています。
4月28日より本藍灰汁建てを始めました。
今回の仕込みは以下の通りです。
80度の灰汁42リットル トータルPH11,1
すくも 6,5㎏(乾燥したもの)
消石灰 160g
酒 130cc
フスマ 150g(灰汁2リットルで攪拌)
この様なデータで藍染めを始めました。今回、前回と異なった点は酒の代わりフスマを入れた点です。また、本来フスマは2日目に入れるべきか?少し悩みましたが一度に投入しました。
13:00 PH値10,0
私の予想では、最初PH値は12辺りから始まるのだろうと予想していたのですが、測ってみてびっくり。なんとPH値は10,00ではないですか。これを見て心臓はドキドキ、すぐさま、炭酸ナトリウム100g投入。
PH値は10,5に上昇
16:00 PH値10,2
このままでは死んでしまうと感じ、消石灰80g投入
PH値10,5へ
4月29日
7:00 PH値 10,6
11:00 PH値 10,7
同業者の先輩に相談すると、「この場合、温度を上げて、栄養を与えなるべく早く発酵を促すべき」との事。
14:30フスマ300g60度の灰汁8リットル投入
その後、三日間変わらず、少し不安に襲われ心の中では藍は死んでしまったかも?と思っていました。
5月3日組合行事のため笠間へ妻と一緒に機織りの実演に出かけ、夜、藍の攪拌を始めたとき突然、甕の中で、大きな泡が現れました。もしかしたら藍が復活?すぐさま紙を液の中に入れて見て、空気にさらすと藍色に。
そういえば、妻が朝大丈夫じゃない!と言っていた。
ここで、あのフレーズが頭の中に「どんなに困難でくじけそうでも信じることさ、必ず最後に「藍は勝つ」ちゃんちゃん!
つい最近、文化放送の「かじましんやの土曜の穴」という番組を聞いていて気になるお話がありました。ゲストに書道家の武田双雲さんがいらしたときでした。中島さんが上手に字を書くにはどうしたらいいか聞いたとき、武田さんはまねて書く事が良いと述べられていました。その後、それより字を書くとき「丁寧に字を書くと脳が気持ちよくなる物質(幸せホルモン)が出るので、字を書くときは丁寧に書くといい」と述べられていました。そのことを聞いたとき、私は自分が機織をしているときのことを思い出しました。ここ一年、肩の怪我で機織はできないのですが、機織をしていた時、なぜか気持ちがいい時があったのです。その時のことを思い出し、もしかして丁寧に機を織っているときそれと同じように脳より気持ちよくする物質(幸せホルモン)が出ていたのか?と思った次第です。茨織協では普段より地機での体験が出来ますので、時間がありましたら丁寧に機を織り気持ちよくなってみませんか?機織りは面白いです。
しばらくぶりのお話になりますか?
今年に入り、初めてのお話になりますが工房にある備品を見ていて感じたことがあります。
だいたい使っているものが平均40年前のものばかりと気が付きました。
扇風機が5台ありますがすべて40年前のもので現役です。一番のお気に入りは自動鉛筆削り機で、私が小学校の頃使っていたもので、三段階の太さに分類できるつわものです。うちの家庭で使っているも物は二代目ですが、削る時、太さの変更はできません。また芯を本当に細く出しませんので、仕事には使えないと思います。40数年前のものが現在のものより優れているとは驚きです。とは言え、鉛筆も子供のお下がりですので何とも言えませんが。
しごとが伝統工芸と言う事なので、古いものを大事にすることは当たり前ではありますが、昔の電化製品は本当に物持ちがいいように思います。
しかしながら、一番困ることは、代用の出来ないものがたくさんある事です。
工房にある大きな脱水機は同じ年代物で、現在ブレーキが壊れていますが使い勝手がいいのでそのままです。また糸巻き機も備品が限られていますので丁寧に使っています。我が家では機織りで使っている筬はいまだに竹筬ですので竹が割れてしまっているにも関わらず、(われごと言う状態になる恐れがある)使い続けています。それもこれも要は使い勝手がいい、それに尽きます。年代物ばかりのものに囲まれながら、これからも素敵まモノ作りに励んでいきたいと思います。
今年も作品展が11月11(土),12(日)にかけ行われます。今年で43回を迎えることとなりました。個人的になりますが、今年度より当組合の技術研修委員長に指名され、作品展担当となりました。よって、今回は作品展についてお話ししたいと思います。まず、当組合の作品展は他の地域、およびコンクールとは大きな違いがあります。その違いは当作品展は技の技術を競うことにあります。そこには未発表作品であるとか、意匠権であるとかは関係しません。純粋に技術を競うわけです。作品のほとんどが問屋さん(縞や)」からの注文で作られたものです。
そこで、どのようなところに注意して作品を見たらいいかと言います以下の通りです。
以上が作品展の検査項目です。独自の作品展でありますが、われわれ組合員は自らの技術向上をめざし日々努力して作品作りを心掛けております。ぜひ、たくさんの皆様のご来場をお待ちしております。
茨城県本場結城紬織物協同組合
技術研修委員長 岩田大蔵
4月初めより朝ドラ「ひよっこ」が始まりました。このドラマはみなさんご存知の通り、茨城県県北が舞台設定となっています。それ故、我々岩田家家族はそこで話される方言を、チェックして「これは違うやら、イントネーションがうまいやら、それぞれワイワイガヤガヤ楽しく話し合っています。そんな中、ある朝聞き覚えのある方言を聞きました。それが「ごじゃっぺ」でした。この意味は「馬鹿な」とか「訳の分からない」とか。私が使うときは、「ごじゃっぺやろが」と使いますが(ちなみに「やろ」とは「者」と言う意味です。大概汚い言葉ではありますが、ただこの言葉は汚いだけでなく、その言葉は好意を持っている人に使います。故にとても温かい言葉な訳です。今回のドラマの方言担当者はなかなかな方であると感激しています。
また、今回のドラマでは県北での設定ですが、本場結城紬も数点使われていたと思います。女優の木村よしのさんが結城紬を着ていた場面。問屋さん情報によると何枚か着物を使用しているとの事。時代考証で考えれば、?でありますが、そんなことは考えないで、ただ少しでも結城紬の宣伝になればいいのではと考えてしまいます。最後にこのドラマは私のリアルな時代背景なので、楽しくこれからを見ていきたいと思います。
昨日我が家に結城紬の帯がやって来ました!なんやら急に帯を購入することになったのです。話は一か月前、組合行事が工芸館であり、私もそこに参加していました。数人の参加者で3時のお茶の時間に着物の話題が出ました。その時私はまだ自分の紬の着物はあるが紬の帯はまだないと話していたとき、同業の先輩の奥様がオリジナルの紬の帯があるよと言われました。その時何気に譲ってくれるか聞いたところ、すんなり「いいよ!」との事、話はそこで終わったのですが、先日その先輩から電話があり帯が出来たから見に来ないか?との事。きゅな話ではあったのですが私は妻と出かけることにしました。先輩の奥様のお話によると、「もしも欲しいなら取っておくけれどどうする?」その帯を見たときに自分の藍染めの反物に合うかな?柄を見ると紺地及びベージュ扡系にも合うかな?妻も好感触!先輩の奥様に即答で「お願いします」 その私の手元にある帯は念願の本場結城紬 地機織りによるもの。まだできたてほやほや、織り始めのカシャゲの所には合格印、そして合格証紙(自分でも普段作っている時はあまり感じない)妙な昂揚感。ついに手に入れた帯!それでも、多分この帯を締めるのは数年先になると思いますが、楽しみに待ちたいと思います。譲ってくれた先輩の奥様に心より感謝です!
新春に入り、皆様いかがお過ごしでしょうか?私としては昨年11月の作品展当日の土曜日早朝、大変な目に合ってしまいました。当日は良く晴れた少し肌寒い朝、愛犬の「たろ」の散歩の為、自転車で散歩?を行っていました。
解る方もおいででしょうが、自転車での散歩は危ないのです。それは解っていたのですが不精ものの私はあえて自転車でおこなっていたのです。ついに事故は不意にやって来ました。前から大きな犬がやってきて注意深く過ぎ去ろうとしましたが、運悪くわが愛犬の「たろ」が不意にわたしの足にかみついたのでした。バランスを崩した私は肩から崩れ落ちていきました。その後、整形外科に診察に行くと肩が「はく離骨折」との事。頭は真っ白、自分が悪いので誰にあたることもできずとても落ち込んでしまいました。それからは不自由な生活が続き家族や仕事関係の皆様に大変ご迷惑をかけてしまいました。そんなことでこのホームページもあまり更新が出来なくなっていたのでした。そんな中、家族での新年の集まりの中、私の母親から一言「大蔵、お前は若いのにまあだ骨折が治らないのかい?」と言われてしまいました。当然私の答えは「もうすぐ60だから若くないよ!おじさんなんだから」 母親としては自分の子供だから若い?と思ったのでしょうが、骨折は最低3か月無理はできないと再度言っておきました。それで、いろいろ考えたのですが、我々の業界は年々高齢化が進んでいます。母親の「お前は若い」と言う一言は案外嘘ではないかもしれません。気持ちだけでも若さを保ち、斬新な発想でこれからうん十年頑張っていきたいと考えています。今年もよろしくお願いします。 岩田大蔵
11月に入りだいぶ寒さが身に染みる季節になってきました。こんな時そろそろ紬のショールの出番がやって来たように思います。いまさら言うこともありませんが、紬の良さはなんと言っても軽さ、温かさですよね!しかしながら、しばらくぶりに使用すると少し汚れや匂い(私などの場合加齢臭?)に少しクリーニングしたいと考えます。ただ、そんな時も簡単にお手入れをして頂き、気持ちよく使用してもらいたい。
手順は以下の通りです。
以上があらかたの手順ですが、シャンプーを使用するのは紬は動物性繊維だから髪と一緒!
大事なのは、引っ張るとき生地の折り目に対しに×を作るように斜めに伸ばす。わからないときは当社にお尋ねください!
久しぶりのよもやま話になりますが、今回は自分にとって、恥ずかしい話になります。我々モノづくりをする者に失敗はつきものですけれど、現状の結城紬の生産者にとって不合格品を作ることは致命的な痛手になってしまうのです。そんな状況の中で事件は起きたのです。
その瞬間は、いつもの作業の延長であったのですが、失敗する時は、間が悪いというか、時間があまりないとき、気が焦っているときにおこるようです。特にその時は家族に「次の日にしごとをしよう」と言われたのだが、私が焦っていたのか、夜になってしまったにもかかわらず「仕事」をしてしまったのです。そして「やってしまった」のです。失敗がわかった時にはすでに時遅く、自分を責め、家族に責めれれ、自己嫌悪にさいなまれました。
大変なのはそれからでした。数年前ならば、地直しの赤坂さんに相談して何気なく直っていたかもしれませんが、今は自分で何とかしなければならなくなってしまったので大変でした。それから約2週間家族と共に悪戦苦闘、ものになるかな?と言う状態にし、あとは織り子さんに預け、織りあがりを待つだけです。そして検査の当日ドキドキしながら待っていました。結果はなんと「合格」。「あの2週間」が家族の冷たい視線?から解放されたのです。
それでも、あれから時々皮肉?を言われることもあるので、気を引き締め基本に忠実に仕事に頑張ろうと思っている今日この頃です。
ちなみに、失敗する時は、続いてしまうものなので今でも内心ドキドキしています!
先日、ホームページを見て結城近郊の高校生が当社を訪ねてこられました。当日、私は仕事の関係で居りませんでしたが、私の母が対応してくれました。お話の内容は、母よりの又聞きではありますが、ほのぼのとしました。
高校生は、茨城県下、有数の進学校の学生で、その方のお話によると、もともと結城紬に興味があり、当社ホームペジを見て紬の歴史や様々な技法など話を聞きたいとの事でした。これからの若い方が結城紬に関心を持ち、なおかつ、そのとっかかりが当社ホームペジからであることがうれしかったのが言うまでもありません。またその方は、大学でも、深く結城紬を学んでいきたいと言っていたとの事。新しい結城紬のファンをこれからも暖かく見守り、結城紬に対してもっと知ってほしいと感じました。その方は、これからも結城紬を応援したいとも言っておられたので、期待を以て仕事に励んでいきたいと感じました。また、その方に限らず、結城紬にもっと関心を持ってもらえるような紙面づくりを心掛けていきたいと強く感じた次第です。
また余談ですが、私の母は現在82歳を少し過ぎたところですが、若い方よりエネルギーをもらい、少しでも長く機織りを続けたいと言っております。当然現役バリバリで機織りに励んでいます。
今年4月末より準備して、4月29日より本藍を建て始めていましたが、5月5日にようやく本藍が中石を迎えることが出来ました。ここまで来るのに少しばかり生みの苦しみがありました。私は女性ではないので、ホントの痛みはわかりませんがここ数日はどうなる事やらとドキドキしていました。本来、藍を建て始める時、染液のPHを管理することで藍染ができるようになるのですが、藍は生き物なので、いつもいつも同じように管理することができないのです。まるで自分の子供たちの様でホント厄介なお転婆さんです。今回は、だいたいPHは12.5辺りから始めるのが理想ですが、11.7辺りから始まります。染液のPHを少しづつ下げていくのが理想なのですが、ある事か二日目で10.6までさっがってしまったのです。それも還元菌が働かず、まるで死んでしまったかのようになってしまったので、さあ大変。見ることができるのは、PH値のみ、藍染の先輩に連絡し、助言を頂きました。先輩曰く「至急消石灰を入れなさい」との事。時間は夜になってしまっていたのですが、「夜は特に危ない」とも言われ先輩の指示通り消石灰を入れました。それから5日間ほどドキドキの時間を過ごし、ようやく中石にたどり着いたのでした。ここまでくればあとは染めるのみ、PH値を頼りに染浴の管理に努めたいです。今回はどれくらい維持できるかわかりませんがなるべく長く藍の管理をしたいと思っています。
時々皆さんにご報告したいと思っています。お楽しみに!
新年度が始まり、子供たちも新社会人となり、私たち家族の元から離れていきました。
少々さみしい気持ちもありますが、社会の為に貢献できるように祈っています。
さて、私自身のことですが、今年も藍を建てる季節がやって来ました。藍を建てるには、まず一番大切なのはすくもです。これに関しては心配ありません。十分に乾燥させた徳島県産すくもを用意してあるからです。次に大切なものが、灰です。この灰はご近所で分けて頂いたものを使用します。ただ、毎年のことですが、燃え残りの木材も入っているので、今年は振いにかけて使用したいと思います。
それにしても、すくもは高級品ですので、もしも失敗したらと思うと、気が気ではありません。これは毎年この時期になると、同じ思いをするのです。
昨年建てた藍甕の状態は下に写真に載せていますが、11月以降全く染められなくなっています。しかしながら、私の読んだ文献には藍はいつ染められるかわからない気分やなので、毎日撹拌して、その時を待っています。(もう死んでいるかもしれませんが)
とりあえず決行は4月の末日にきめています。今年はどうなる事やら、ドキドキです。
これからのことは、藍染日誌2016に書いていきますので、ご期待ください。
つい先日、3月10-13日にかけ紬の実演の為、大阪難波に行って来ました。大阪には数知れず訪れていますが、仕事として言えば30数年ぶりです。今回のお話はその当時を振り返ってみたいと思います。さて、その当時わたしは京都の染物問屋に3年ほど住み込みで行っていました。仕事の内容は、1年目は悉皆業(しみ抜き,紋入れ、など様々な仕事)を行っていました。悉皆業については、そのうち書いてみたいと思いますのでここではこのくらいにして次に進みます。2年目から問屋の本業である営業に進みました。私の担当は大阪担当の部長の下で、百貨店関係の雑用が主でした。主に、京都高島屋、大阪高島屋などに雑用で伺っていたことを今でも覚えています。大阪に出張は週に1-2度ありました。だいたい10時過ぎお店(烏丸御池上がる)より出発し、地下鉄で四条烏丸にで、阪急電車で梅田まで,そこでだいたい駅地下の串カツの揚げたて定食(500円)を食し、地下鉄で難波まで、それより高島屋に入店しました。入店にも二通りありました。荷物の持ち込みはだいたい正面入口より入りました。しかし、催事で決まった商品で紋入れなど荷物を出す場合、裏口より入店しなければなりませんでした。その場合、休日の病院の面会の受付のように、名札をもらい、名前を書いて、百貨店に入っていきました。最初はあのきらびやかな百貨店の裏側にはびっくりしたのを覚えています。特にエレベーター(業者用はすごかった)はすごく傷んでいた。それから、特選呉服のコーナーに入り商品を受け取り一路会社へと帰っていくのでした。その当時、特に大阪高島屋特選呉服の事務所は威厳があり圧倒されたのを今でも覚えています。
大阪の思い出は、京都と大阪の往復だけの思い出、大したことはないのですが、串カツは今でも心に残っています。ですから今回一日目の夜に食べれたので満足しています。大阪の食べ物は本当うまかったです。今度は奥さんと一緒に行きたいと思っています。 それではまた!
今年、私の息子の就職が決まりました。ようやく少し肩の荷が下り、ほっとしているところです。
とは言え、結城紬を営んでいる私としては、少しさびしいところでもあります。さて、そんな息子より、私の妻の方に紬の名刺入れが欲しいと連絡がありました。息子は早、東京で生活の準備をしており、入社する会社より研修で早速名刺交換があるとの事でした。もとより私の手元にはいろいろな名刺入れがありますが、妻には一番新しい牛皮の結城紬名刺入れを送りたいと言われました。今回、幾つか新しく売り出したのですが、その中で息子は本藍染の名刺入れがいいと言ったそうです。しかし、その名刺入れはまだ未発表の生地なので、本当はそれを与えたくはなかったのですが、妻には弱い私のこと、一つ返事で了解して、息子の所へ発送しました。その名刺入れに対し息子曰く「これ、いいよ!」との事。まだ発表していない名刺入れだから当然だろうと、心で思いつつ、息子にはみんなに宣伝してねと言っておきました。その名刺入れは秋口に売り出すつもりです。待っていてください。
しばしば、紬の糸はたきと言う作業をするとき、半谷のおじさんを思い出します。半谷のおじさんは、私の遠い親戚にあたる人で、私が生まれる前から当社に勤めておられました。おじさんはとても優しく、「大蔵君、大蔵君」といつも親しく声をかけてもらいました。それから、私が家で仕事に就く25歳の時には、半谷のおじさんも60代後半になり、私がおじさんの送り迎えを担当することになったのです。おじさんは所謂、糸の扱いの僕の先生になったのです。糸の扱の一番大事な作業は糸の精練作業、糊つけ、そして糸はたきと呼ばれる糊を付けた糸を丁寧に整然と網目状に整えていく作業です。この三つの作業を丁寧に教えて頂きました。特に、おじさんの糸はたきは、芸術的でほれぼれしました。糸が網目にきれいに並びとても美しかったことを思い出します。この作業は紬の工程でもあまり知られていませんが、私にとって一番好きな作業のひとつです。この糸はたきがうまくいったときは満足感があふれてきます。この頃ようやく自信がついてきました。半谷のおじさんにもようやく恩返しができたと思います。おじさんがなくなって早10年が過ぎましたが、今でもおじさんの糸はたきは私の脳裏に浮かびあがります。そんなわけで、いろいろな作業が紬の工程にありますが、皆さん、重要三工程以外にも目を向けてはいかがでしょうか?
皆様あけましておめでとうございます。今年も面白い話題を何とか見つけて、皆様に届けていきたいと思います。
さて、今回のお話ですけれど、機織りに使う部品の数について考えてみたいです。私の母親や先輩のお話しに出てくる数は、女性の厄年の数と同じであるとよく聞いていたのですが、いざ調べて数えてみると29個であると記されていました。ただこれは昔の資料ですので、ホントかどうか定かで話ありませんが?
取りあえず、ここに代表的な部品を上げて見ます。押棒,かけ糸,あや棒、おまき、足ひきひも、はたくさ、なかつつ、ねこ、ふんばり棒、筬つか、筬、筬はらい、伸子、ぬのもち棒、前がらみ、のし棒、腰あて、横管(糸)、杼、管箱、腰かけ板など合計29部品 これらはそれぞれが無くてはならないものです。特に最初の押棒に関しては、この一本の棒が糸を抑えることによって片糸綜絖を可能にしているのです。そんなわけで機織りが成り立っています。私たちはこれからも昔ながらの織機ではありますが感謝の気持ちを以てモノ作りに励んでいきたいと考えています。
今回新しいページを開きました。
私が今まで皆様から聞き及んだ結城紬のお話やら、ぜひ聞いてもらいたいお話し、聞いたままで措くのではなく、文章に残しておきたかったんです。たわいない話ではありますが、たまに見て頂ければと思います。
(株)岩田織物 代表岩田大蔵
皆さんにとって地機を織っている音色はどのように聞こえているんでしょう?独特の音色である「タンタン、ドンドン、タンタン、ドンドン」この単調な音色は結城紬独特の音色であると思います。日本の童話である「かぐや姫」ジブリ映画での一コマに地機をかぐや姫が織っているシーンがありましたが、高機や自動織機ではあの独特な音色は出ません。地機で使う「杼」(ひ)の存在があのような音色になっているのだろうと思います。自分で織っていても感じるのですが、杼を思い切り打ち込むとき出る低い低音は心に染み入ります。そこまで地機の音色が自分に心地いいのかと言えば、私が55年前生まれる前、母親のおなかの中でこの地機の音色を聴いていたのかもしれません。「タンタン、ドンドン」は私にとって心地いいのです。生まれてからその音色を聴きながら生活していたわたしにとって「タンタン、、ドンドン」は生活の一部になっていたように思います。
その私の母親は、現在82才になりましたが現役で反物を織っています。いつまで織れるのかわかりませんが、あの音色は昔と変わらず、心地いい音色です。結城紬は検査がありますので、不合格品が出てくるまでは頑張って織りたいと言っています。私も応援しています、みどりさん「がんばって」
先日、ようやく新しい反物を織り始めるため機織りの用意が出来ました。いざ織り始めて唖然!
糊が甘くて織り進めません。頑張って織っても1時間織っても、5センチほど、困ってしまいました。機も藍染の糸を織っているのでそこかなと思っていましたが、糊が甘いことが原因でした。今回の糊つけは従来どうりの糊つけを行っていたのですがうまくいきませんでした。そういえば,自分の機だけでなく、他の織り子さんの機でも糊が甘いとの指摘を受けており、原因を探らなくてはいけません。この頃、原料の糊は市販の中力粉を使用していたのですが、家族曰く「地糊じゃないから」と一言で終わりでした。糊付けは今までと同じように作っていたので何か原因はあると思っています。糊を地糊に変えてしまうと今までのデータと違うので、新しく配合を変えなければなりません。自分なり原因は最後の糊に入れる、反物がすべすべに織れるように入れるワックスでは?と思っているのですが今度は少し量を減らしてみようかと考えています。それにしても、糊つけは難しいんです!これからは乾燥する季節になり糊は少し弱くするようにしなければならないので時期だから?最後に、本当であれば、映像でお見せすればいいのですがかっこ悪いのでやめておきます。今は糊を付けつけ織っています。他の織り子さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。次は織りやすくなるよういい糊付けにしますから!
※地糊とは国産の小麦粉のことを言いますが、昔どの家でも自家製の小麦を精米屋さんで引いてもらい、その小麦粉で糊にしていました。ちなみに、地粉は強力粉のことです。
鬼怒川が常総市流域で氾濫して早10日が経ちました。今回の「関東・東北豪雨」は常総市流域が大変甚大な被害がもたらされました。このあたりの地域は結城市にとってはとても似たところがあります。同じ鬼怒川流域であり、それと旧石下町は結城市と同じ絹織物の産地でもあります。それに結城市においてもこの震災は災害をもたらしました。水害の反乱時当日、私が住んでいる結城市上山川においても避難指示が出されました。わが家は幸いにも被害はありませんでしたが、同じ上山川地区の数件で床上浸水があったそうです。また結城紬の同業者の先輩の工房では少し水がかかったそうです。ただすぐに手直しして大事には至らず良かったです。この文章でお分かりのように、当日私たち夫婦は九州に旅行に出かけていたので家族には迷惑をかけました。
鬼怒川は私たちに様々な恩恵、特に地下水はありがたく思っております。ただこのように我々に牙をむいてきます。「禍は忘れたころにやってくる!」です。鬼怒川に感謝と畏敬の念を以てこれからも共に生きていきたいです。
追伸 先日、結城市より災害の詳しい状況が発表がありました。
内容は、床上浸水が47件、床下浸水が100件、車の浸水が120台との事でした。
結城市にとっても大変な災害であったと思います。当紬組合の組合員の方にも床上浸水に合われた方がいらして、現在も避難しておられるそうです。心よりお見舞い申し上げます。
今年の灰汁建てによる本藍染は建て始めてから120日を過ぎて、手を入れて見ても爪が青に染まらなくなってきた様なので、染めは終わりにしました。
だからと言って、これで終わりではありません。これよりは、染め上げた手紬糸を織り上げる準備に向かいます。今回染め上げた糸は昨年染めたものを使用し、今年染め上げた糸は枯らしていきます。本藍で染め上げた糸は,なるべく枯らしておけば措くほど堅ろう度が増すと言われています。前にあるホームページで「灰汁建てで染めた糸及び布は洗濯しても色移りしない」と書いてありましたが、あくまで色の薄いモノの場合であると私は考えています。私が作ろうとしている灰汁建ての本藍は、思い切り濃い色を出したいと思っているので色移りするかもしれません。色移りや、色落ちをふせぐには十分枯らすしか方法はないかと思います。しかしこれも人から聞いた話で本当のことではないかもしれません?本当に枯らすには、10年くらいしないといけないそうです。
下の写真の糸、薄い方は3回染めあげた糸、濃い方は10回以上染め上げた糸です。この手紬糸で織り上げていきます。楽しみに待っていてください!
当社ホームページ上にてのせている地機織りと高機の違いについて思い違いをしていたようです。
と言うのも、私がつい最近織りあがった反物に対して繊維工業指導所の職員の方いわく「織りが少々甘いようですね!」と指摘されました。※ちなみに検査は通っていますけど。そのことに関して、私としては思い切り杼で打ち込んでおりそんなはずはないと答えていました。その後の反物を織り始めるにあたり、その言葉が頭の隅に残っていたので、織り密度に関して気にして織り進めていきました。気にかけたことは以下の通りです。
地機の特徴である杼を左右対称に強く打ち込むことを心掛けて織る。
緯糸を弓上におき、筬を対称に強く緯糸にぶつけ隙間の無いようにする。
この2点に心掛け織っていきました。まだ織りの途中ではありますが筬でぶつけることで密度に表れることが解り、ただ杼を打ち付ければ反物は良くなると思い込んでいた自分にがっかりでした。そういえば、指導所の方が織りに関して高機の反物でも地機の反物より打ち込みのいいものがあると言われたことを思い出しました。
地機と高機で織りの違いはあるのでしょうが、大事なのは筬のぶつけを気にすることが反物にとって大切なこと、私みたいに力がなくともいい反物はできる、でも、これからも杼で強く打ちつけて織り上げていきたいです。何といってもそれが地機の特徴なんですから!
最後に82歳になった私の母親も現役で素晴らしい反物を織っています。
先日、私の息子の同級生のお母さまが私の母親のみどりの元に訪ねてきたそうです。ずいぶん久しぶりだったので用件を聞いたところ、手作りのお財布を売って欲しいとの事でした。詳しくお話を聞いたところ、その息子さんが大学合格したことにお祝いとしてわが母親が結城紬の手作りの財布をプレゼントしたのですが、それからだいぶ年月が経ちその財布もだいぶくたびれてきたので、お母様は町の結城紬のお店でお財布を買ってきてあげたのです。しかしながら、息子さんは頑としてわが母親の作ったお財布から新しい紬の財布に変えようとしなかったそうです。それからも、そのお母様は幾度ともなく、いろいろなところでお財布を買ってきて息子さんに渡してみても、頑としてくたびれた財布にこだわっていたそうです。そのような経緯からわが母親のみどりの元に来たわけです。
そのお話を聞いたわが母は、いたく感動したのですが、今現在手作りの財布は作っていなかったので、その旨を話したのですが、どうしてもと、言われるので、昔作ったお財布がありますがそれでよろしかったらいかがですかと差し出したところ、それでお願いしますと言われたそうです。母親は練習で作ったものだからと、その財布をプレゼントしたそうです。
そのくたびれた財布と同じ手作りの財布を今現在、私と息子は使用しています。そして二人の財布もだいぶくたびれてきています。母親のみどりは老体に鞭打って作り直してくれるそうです。 しかしながら、原料の本革は、東京にいって買ってこなければなりません。たぶん、できあがりはまだ先になってしまいますが、楽しみに待ちたいと思います。
なぜ、その手作りの財布がいいのか? 昔ながらのやわらかいチャックの財布。それではまた。
彼岸を迎えて、先日お亡くなりになった、結城紬の「しみ抜き屋」を営んでいらした赤坂さんの言葉が思い出されます。赤坂さんはただ一軒結城紬のしみ抜き屋さんとして、我々機屋さんのお助けマンとして、長い間たくさんの反物の汚れやキズを直してくださいました。よもやま話でも何回か検査について書いてきましたが、当社においても何度助けて頂いたかほんとに感謝しておりました。ほかの機屋さんも同じ気持ちであると思います。奥様のお話ではもうお仕事は廃業されるとの事ですのでこれから我々機屋は大変になってくるなと感じています。組合では対応に苦慮しているみたいです。何といっても不合格になると売値が三分の二になってしまいますので、生活に直結してしまうからです。そんな状況になって赤坂さんが口癖のように言っていた言葉が思い出されます。「もっとみんなで結城紬のことを考えなければいけない。それぞれの組合がばらばらだ!」
そんな言葉を聞きながら、自分に何ができるか?その度、自問自答を繰り返していました。今思う事は、どうしても自分中心になってしまう事に恥ずかしさを覚え、今いっそう積極的に組合行事に参加して行くことが僕なりの結城紬の為になるのかと考えております。今後どうなるかわかりませんが、必ずいい方向に行くと確信しています。赤坂さんの言葉を忘れず、頑張ってまいります。赤坂さんのご冥福をお祈りし終わりにします。
今回は「われご」についてお話ししたいと思います。「われご」と言われるのは、筬の状態について言われる言葉です。筬にも、竹筬と金筬があります。当社では、今は貴重な竹筬を使用しています。金筬のいい点は「丈夫」であると言う事です。竹筬のいい点は「軽い」という事です。地機に於いて筬は、とても重要な役割がありまして、竹筬の場合、糸が切れた時や、筬を止めておきたいとき、筬を斜めにしておけば筬は動かなく無くなり作業がしやすくなります。金筬の場合、重いので動きやすくなって作業しにくいのが難点です。竹筬は織っているとき、杼で横糸を打ち込みますが、その時、杼が竹筬に接触してしまうと、筬目(竹でできており非常に弱い)が割れてしまいます。その割れた筬目を「われご」と呼ばれているのです。要は、織っているとき、十分注意して織り上げれば問題ないのですが、私の場合たまに触ってしまいます。
さて、なぜ「われご」にこだわるかと言えば、筬通しと言う作業は反物を織り始めるにあたり縦糸を筬に一本一本通していきます。耳糸を合わせて680本もの糸を筬目に通していくのです。時間にして3時間あまりかけますが、「われご」があると、糸が割れた筬目に入ってしまうと、筬は動かなくなってしまいます。われた筬目に対して注意深く確認して,まっすぐ糸を通していきます。最後に、全体を見渡して機を巻いていくのですが、もし、筬目に「からめど」(筬目に糸が通っていない状態)や「よついれ」(一本の筬目に二本の糸が通っている状態)があればそれを直してから出ないと先の作業へ進めません。たまにこれを見逃すと、検査に通らなくなってしまうので、とても重要な作業です。話がそれてしまいましたが、筬はとても大事なアイテムなのです。
最後になりましたが、このお話は私が今日筬通しの作業をして、ここに書こうと思ったんです!実際今、腰が痛いです。
久しぶりに更新します。今回は不合格シリーズについて書きます。「よこ段、たてすじ」と言うのは、僕も何回か経験しましたが、たまに不合格に陥りやすい,検査項目です。なぜ不合格になり易いかと言うと、よこ段に関しては、横糸を染色する際、色によってよこ段になり易い色があります。たとえば、茶色とか、黄土色など中間色などがそれに当たります。私は染色業者ですので、本来であれば、NGですけど急いでいるときなどやってしまします。それと、もう一つの原因は、糸使いでも起こる可能性があります。絣糸と地糸の糸の太さが違いすぎる場合、段になる可能性があるのです。たてすじについてですが、たてすじは染色に問題がある場合もありますが、それだけではありません。結城紬を製作する段階で、糊つけを何回かおこないます。乾かしてから糸を巻きなおしていくのですが、強い力で巻いていくと色が変わっていくそうです。(色が変わると言ってもほんの少し、糸のべや機巻きなど、織っていくまではわかりません)つまり、すべて同じ力で糸を巻かないと段が出る可能性があるわけです。この事は反物のお医者さんである、赤坂さんに教えて頂きました。たてすじの場合濃い色に多いそうです。ちなみに、一月の生産反数は98反でした。
内訳は、地機織り50反,縮織り7反(そのうち帯が14本でした)、高機織り41反(そのうち帯は5本でした)そして検査項目のよこ段は、今回2反不合格になっていました。不合格の反物合計はなんと13反もあったようです。これだけ生産反数が少なくなっても検査は厳しいんです。結城紬の検査はホンと大変なんです!
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?
今回は我々生産者と製織作家さんとの違いについて考えてみたいと思います。
まず、生産者とは問屋さんより注文を受けて反物を作ります。それに比べて作家さんは自由にモノづくりをしていると私は考えます。どちらが良いか何とも言えませんが、結城紬に於いて比べてみたいと思います。本場結城紬に限定しますと制約が発生します。制約(地機、手紬糸、手括り)の中で生産者はモノ創りを目指してます。製織作家さんにおいても証紙を貼った反物を作る場合、我々生産者の組合に入って制約を守りモノ創りをしなければなりません。もし自由なものを作る場合(地機や手紬糸を使用しないなど) 正確に言えば本場結城紬とは言えなくなります。。
その他、染色の場合でも我々染色業者では、作家さんと比べて染色堅牢度の問題を解決しなければなりません。色を出す場合でも、欲しい色を求める場合にはただ色を出すだけでなく、堅牢度が達していなければ染めても検査に合格しません。特に草木染の場合本場結城紬の製品を作る場合、4級以上が必要になりますが,原料の植物染料に日光堅牢度の強い染料は本当に少なく、全体の数%程度だと思います。10種類程度の草木染料に5種類(錫媒染、アルミ媒染、銅媒染、チタン媒染、鉄媒染)の媒染剤の組み合わせで色を染めますから、色は限定されてしまいます。 特にきれいなグリーンや水色(本藍の薄い色を使います)などは堅牢度の低い染料しか存在しませんので、我々業者はお手上げです。どうしても職人根性と言うか職人の意地が色あせが許せないんです。
とは言え、自分なりに作るモノづくりは大切であると考えています。私としては生産者でありながら、職人の誇りを持ち独自の作品作りにも挑戦していきたいと思っています。
しばらくぶりに結城紬について書いてみたいと思います。
今回は、「糸使い」について述べてみたいと思います。さて、結城紬にとって糸使いはとても重要なんです!通常「つむぎ」と呼ばれるものはだいたい縦糸が細く、横糸が太いというのが基本なんです。ですからほかの産地の織物はなんとなく素朴な感じがするというか、ざっくり織られたものが多いと思います。しかしながら、結城紬の場合、縦糸は太く、横糸は細い糸使いを行います。
それではなぜそのような糸使いをするかと言えば、「結城紬の場合、糸が手つむぎ糸である。」
手紬糸は無撚糸でできています。その為、縦糸に細い糸を使用すれば出来上がった反物の強度が不足すると考えられています。結城紬の手紬糸を撚りをかけて織り上げてしまえば縦糸の強度は高くなりますが、多分風合いは違ったものになってしまうと思います。ちなみに、撚りを掛けた糸を使用すると、検査違反になります。そもそも、ユネスコ無形遺産に指定された要綱の規定にも、撚りのかけていない手紬糸となっております。話を戻しますが、結城紬では(無地)の場合縦糸はだいたい130デニールから180デニール,横糸は100デニールから130デニールあたりが使われます。
それでも他の絣もの、160亀甲などはもっと細い糸使いになります。当然縦糸が太くて、横は細い糸を使用します。
そんな中、糸使いを変えるチャンスがやって来ました!
県や国からの協力で織物業界で新製品の開発を企画しており、当社は茨織協より応募があったのでそれを受けることにしました。
卸商組合より依頼があり、縦糸が120デニール、横糸が160~180デニールでの糸使いをするとの事。ただ心配は、縦糸が細いので機織りが大変かな?奥様お願いして織ってもらいます。
制作には4件の機屋さんが携わります.そのうちお披露目が行われますので、楽しみにお待ち下さい。
今回「まがりっぱだ」についてお話ししたいと思います。「まがりっぱだ」というのはこちらの方言であり、正確には「曲がり織り」と言います。この曲がり織りは本場結城紬の検査規格の一つにもなっております。検査規格では左右の違いが一寸(3.79cm)以上あると検査で不合格となってしまいます。さて、先週私の母親のみどりさんが問屋さんの注文の反物を織り上げました。その時織りが左右ぴったりに織り上げたと私に嬉しそうに話してくれました。その時私は実は「まがりっぱだ」に陥っていました。意を決し母親に「まがりっぱだ」を直してくれるよう頼みました。母親は仕方ないと直し方を教えてくれました。しかし「まがりっぱだ」は簡単には直りませんでした。悪戦苦闘の末なんとか直りはしましたが冷や汗ものでした。
この反物が左右対称に織り上がるためにはいくつか条件があります。
① 糸のべの時右と左がまっすぐのべる(左右対称にのべるのは至難の業である)
② 機巻きの時まっすぐに巻きつける。
③ 織るときにまっすぐ織る。(この作業が一番難しいのであるが、気を抜くとすぐ曲がってしまうのでとても大変である)
以上が左右対称に織り上がるための条件であるが、このことを考えていても母親が子供の様に喜んでいるのがおわかりになると思います。ちなみに私の織っていた反物もようやく織り上がりました。左右の違いは二分(約6mm)あたりでした。まあまあというところだと思います。
さて、今回は古くて新しい発見についてお話しします。
皆さんは結城紬の布の断面図はご覧になったことがありますか?
も布の断面図(織りの組織)について予想や先輩のお話、文献など(これらもすべて想像)で本当のことはわかりませんでした。今回、茨城県工業技術センターにお邪魔し、当社にて地機で織った布と石毛紬(機械織り)の布を持参し、最新式のレイザー顕微鏡(3Dも見ることが出来ました)にてそれぞれの布の断面図、および表面の観察を職員の方と共に観察をいたしました。結果として,半分予想どうり、残り半分はがっかりでした。
断面図: 地機と機械織りの差は確かに存在していました。違いに関しては後で図面で説明します。(本当であればデータを頂いてこちらに載せればいいのですけど、職員の方からまだ駄目ですと言われ、がっかり。何といっても初めて見た断面図皆さんに見せたかったんですけど!職員の方の説明によれば本来、このような組織図は少なくても20例くらいデータがなければ公式に公開できないと言われ、納得、特に手織りである地機などは個人差が大きく、私が持って行った2枚の布ではデータとして認められないと言われました。それでも個人として事実、自分で織った布と言う事実はゆるぎないものです。
平面撮影: これに関しても地機と機械織りではだいぶ違いがありました、機械織りは平坦である印象でした。地機は縦糸では上糸と下糸が同列に並んではなく、少し離れていて立体感が見られました。横糸も立体感が見られました。
以上が私の断面図を観察した感想です。写真はしばらくすれば、改めて県の機関から改めて発表されると思います。楽しみにお待ちください!
前々回、真綿についてお話ししましたが、その続きをお話しします。真綿の原料は繭です。これは前にもお話ししましたが、蚕は十分に桑を食べ熟蚕となって繭を作るときに口から糸を吐き出します。 この時、その糸の構成はヒィブロインと言う蛋白繊維を2本吐き出し、これをセリシンと言う水で可溶性のたんぱく質で被覆して一本の繊維束にして繭を形成します。蚕から吐き出される糸の太さは3デニール(1デニールは9000mで1gの重量)です。このセリシンと言う水に溶ける物質を取り除くと、真綿の原形となるのです。詳しくは、繭を十分のお湯の中に重炭酸ソーダを2-3%を加え、約1時間煮沸するとセリシンがとけて固かった繭は柔らかになります。これをぬるま湯の中で指で広げて中の蛹を取り出し形を整えます。また指先を巧みに使って繭6,7個で袋状にしたものを袋真綿と言います。皆さんは、絹糸をイメージする時、すべすべでつるつるであると思われますが、セリシンを取り除くとふわふわ柔らかになっていくんです。
今回、本来であれば真綿のお話②でしたが、つい最近、TVの娯楽番組で気になったこともあり今回はお話を変えました。テレビの内容は「出演者が自分のジャンパーの裏地に高級な着物の生地を使っているとの事。それもこの頃着物の生地が10分の1の値段で手に入ると話していました(たぶん、古い反物でしょうけど)。」私はこの話を聞きながら、裏地の着物を作った方はどんな気持ちだろうと考えました。消費者は商品をなるべく安く購入したいのは当然ですが、我々生産者は心を込めて制作しています。できれば適正価格で購入してもらいたいものです。「地機と高機の違い」は当社のホームページで後で確認して頂ければよろしいのですが、違いを一言でいうなら、「製織の日数の違いでしょうか」地機で反物を1反織り上げる間に高機では2反強織り上げることができます。それだけ地機での製織は生産的でないのです。ユニセフ無形文化遺産に指定された時点で何もしなければなくなっていく技法ですから。値段が高いのは仕方がない事なんです!この頃、結城でも年に一度11がつに結城紬の蔵ざらいが行われています。よろしかったらおいで下さい。とは言え、そんな時は当社で制作した反物が安価で売られているのは心が痛みます。本場結城紬でたまにとんでもない安い値段で売られていることがありますが、生産者の私が言うのもなんですが値段が安いものはそれなりの反物であると思います。一番いい購入方法はやはり織りの専門店か百貨店にて適正な値段の商品が一番いい購入方法だと思います。安く買いたい方は、前に述べた11月に行われる蔵ざらいをお勧めします。これは市の主催でありますので、本場結城紬の反物だけが出品されています(しかしながら、いわくつきの反物が中心ですが、もしかしたら大穴があるかもしれませんよ)。ここでぜひ地機の反物の購入をお勧めいたします。それでは次回は真綿②についてお話ししますお楽しみに!
今回のお話は、真綿についてお話ししたいと思います。
しかしながら、真綿に関しては、いろいろありますので、今回は大正時代、昭和時代に使われていた真綿のいろいろを紹介してみたいと思います。
当社は、先先代である祖母の岩田さわ(明治32年生まれ)が16歳で八千代町より当岩田家に嫁いでから、結城紬の製造が始まりました。今から約100年前のことです。
その当時は、結城市を中心とした鬼怒川沿いの全域で養蚕業が盛んに行われていました。私の家も農家で養蚕業を行っていました。とは言え、養蚕業は私が生まれる前のお話ですけれど!養蚕業と言うのは、蚕(かいこ)と言う白いイモムシのような(昔私は怖かった)いきものが、蛾の成虫になるときにさなぎになる際,白い糸を吐いて自身を覆います「モスラ」を想像してください。これが所謂絹糸です。昔は、とても高級で、日本でも戦前、戦後は、大事な輸出品でした。そんな訳でその当時は農家の貴重な収入源でした。繭がたくさん生産される過程で、不良品が発生します。それがくず繭と言われる物です。くず繭にはいくつかあり、一つに玉繭(カイコが繭の中に2つ以上入ったものを言います)が挙げられます。もう一つはビシャ繭(カイコが繭の中でおしっこをしてしまったもの)があります。これらは後に,製糸工場に送られますが玉繭は糸をあげるときに、オス、メスのさなぎがそれぞれ糸を出すため、製糸工場で糸をあげるとき絡まってしまい糸があげられないのでNG、ビシャ繭は黄色く汚れているのでNGとなります。
話は長くなりましたが、これらくず繭が本場結城紬の原形だったと思われます。我が家でも、母親の話では、嫁ぐ前 さわおばーちゃんが家族(私の叔母さんたち)でくず繭をお風呂場のお湯で煮込んで自家製の真綿を作っていたと聞いていたそうです。その真綿で糸を紡ぎ、本場結城紬の反物を作っていたと言う事です。私が生まれたあたりから原料商から購入されるようになり、真綿も結城ではなく、福島県の保原町(現在の伊達市)で真綿が作られるようになっていきました。さらに、くず繭だった繭も現在は使われないようです。
今回はここまでです!次回は真綿についてお話しします。
結城紬にとっての色に関してお話ししたい事がままあります。
まず最初にお話ししたいことは、糊を付けると色は濃くなっていくと言う事です。結城紬は知っての通り、絹の真綿を手で紡ぎます。その為、そのままでは作業ができないので大量の糊を付けていくのです。ほかの糸、例えば普通の絹糸や綿糸、麻など染色をし、糊を付ける場合はトータル約30%ほどで十分ですが、手紬糸の場合トータル約100%の糊を数回に分けてつけていきます。糊を付けると色は濃くなると言いましたが、糸は他の織物の糸に比べ濃く見えるようになっていくわけです。しかしながら、結城紬の反物は、原則 反物がお客様に販売されてから糊を抜いていきますので、その時濃くついていた糊を落としていくと反物の色は薄くなっていくように感じます。
本場結城紬を購入されるときは、少し薄くなることを考慮してご購入することをお勧めします!
次に結城紬の染料は堅ろう度が比較的強い染料で染められています。結城紬の染料は比較的手染めをするときうまく染めないと色むらになりやすい染色を使用していますので高い技術力が求められます。
私達本場結城紬染色工業組合の組合員は毎月染色研究会を開いて技術の研さんに励んでおります。
ちなみに本場結城紬は絹糸(手紬糸)ですので動物繊維です。染料としては錯塩染料、酸性染料、クロム染料などが使用されております。当社では、本藍染や草木染なども行っておりますが、本来、天然染料は植物染料ですので、絹糸である手紬糸は糸が傷みやすいので、染色のさい糸を痛めないように注意して染めなければなりません。たぶん、ほかの産地で手紬糸を染めてもらうと、大変なことになってしまうと思います。